戦国史リプレイ 3日目
2003年7月7日全国1200万人の戦国史ファンの皆様こんにちは。
リプレイも3日目に入りました。
あいかわらずTCってなに?状態ですがしょうがないです。止められないですから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
軍を5つにわけたわけだが、ある軍団が大誤算。
加賀方面軍だ。ぶっちゃけまだ越前・若狭にいるのだが、初めは楽勝で加賀に入れると思ってた・・・しかし!
実際には城の一つも落とせ椰子ねー。ハゲ。
戦犯は木下日吉・・・・・・誰だか分かりますよね?そうあの人です。
1560年だから年も若いしこの任務に答えることはできなかったか・・・・・・
(本当は本願寺の戦力を過小に見積もった俺が悪いのだがw)
しかし、他の軍団は特に障害もなくちゃくちゃくと城を落とす。
1561年には織田家残党の掃討も終わる。
vs山内上杉戦も、このころには駿河から始まったのが相模・伊豆の大半を制圧。
千葉家と隣接するところまで来た。
ん?千葉家に攻められてる?
しまったぁ同盟してないや。とあわてて同盟を結ぶ。
本隊は順調に、美濃→飛騨→越前に進軍。
越前に侵入した時点で、日吉丸君の軍団を大幅に強化し、若狭制圧を急がせる。
そして、本願寺の本拠加賀に侵入!・・・・・・というところで本願寺降伏。当然受諾。総石高90万石だ。そして次の月には越後上杉家も将軍家の軍門に下る、おぅ、これは予期していなかった。
さて、ここまで従属状態だった武田を初め越後上杉、本願寺を臣従させ一気に山内上杉家を攻略。この間わずか4ヶ月。
残党を掃討させつつ、次の千葉家攻めのために兵力を増強。
そして、1562年11月に千葉家との戦端が開かれた。
千葉家兵力は約18万。だがこちらの方が兵力は上だ。
2つの軍団に任せて、武蔵、上野、下野、南陸奥と少しずつ勢力を削いでいく。
だが、ここで問題なのが西の畠山だ。
九州に上陸し、島津家もそろそろやばそうだ。
これらの勢力を取り込まれると、こちらとしても少々やっかいなことになる。
そこで1563年3月。畠山と同盟破棄。
畠山の東の守りは皆無なので、兵が引き返してくる間にできるだけ領土を削っておこう。
作戦は成功し、戦端が開かれてから半年で30余城を攻略。約50万石削ることができた。
島津、李朝と同盟を結んだらしく、ほぼ全軍をこちらに向けてきたが、戦力差はまだまだこちらが上だ。
さらに毛利等の大名も今だ臣従していないために、これらの戦力は問題にしなくてもよい。
それにしても、序盤の仇敵。細川京兆家が弱小ながらも独立を保っていたのは驚きだ。
畠山と戦端を開いたらすぐにこちらになびいてきたがな。
ここまで勢力に差がつくとは昔では考えられないことだ。(ほんの13年前だが)
1563年9月。
千葉家の兵力が18万→8万に減少。
将軍家は50万
畠山家は13万。
どうやら天下統一は見えてきたようだ。
と、ここで一旦中止。
1,将軍家。1000万石
2,千葉家。 330万石
3,畠山家。 285万石
4,李氏朝鮮。185万石
5,島津家。 90万石
最大の問題は、最後まで飽きずに出来るかだ。いつも大勢が決したら止めちゃうからなぁ。
リプレイも3日目に入りました。
あいかわらずTCってなに?状態ですがしょうがないです。止められないですから。
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軍を5つにわけたわけだが、ある軍団が大誤算。
加賀方面軍だ。ぶっちゃけまだ越前・若狭にいるのだが、初めは楽勝で加賀に入れると思ってた・・・しかし!
実際には城の一つも落とせ椰子ねー。ハゲ。
戦犯は木下日吉・・・・・・誰だか分かりますよね?そうあの人です。
1560年だから年も若いしこの任務に答えることはできなかったか・・・・・・
(本当は本願寺の戦力を過小に見積もった俺が悪いのだがw)
しかし、他の軍団は特に障害もなくちゃくちゃくと城を落とす。
1561年には織田家残党の掃討も終わる。
vs山内上杉戦も、このころには駿河から始まったのが相模・伊豆の大半を制圧。
千葉家と隣接するところまで来た。
ん?千葉家に攻められてる?
しまったぁ同盟してないや。とあわてて同盟を結ぶ。
本隊は順調に、美濃→飛騨→越前に進軍。
越前に侵入した時点で、日吉丸君の軍団を大幅に強化し、若狭制圧を急がせる。
そして、本願寺の本拠加賀に侵入!・・・・・・というところで本願寺降伏。当然受諾。総石高90万石だ。そして次の月には越後上杉家も将軍家の軍門に下る、おぅ、これは予期していなかった。
さて、ここまで従属状態だった武田を初め越後上杉、本願寺を臣従させ一気に山内上杉家を攻略。この間わずか4ヶ月。
残党を掃討させつつ、次の千葉家攻めのために兵力を増強。
そして、1562年11月に千葉家との戦端が開かれた。
千葉家兵力は約18万。だがこちらの方が兵力は上だ。
2つの軍団に任せて、武蔵、上野、下野、南陸奥と少しずつ勢力を削いでいく。
だが、ここで問題なのが西の畠山だ。
九州に上陸し、島津家もそろそろやばそうだ。
これらの勢力を取り込まれると、こちらとしても少々やっかいなことになる。
そこで1563年3月。畠山と同盟破棄。
畠山の東の守りは皆無なので、兵が引き返してくる間にできるだけ領土を削っておこう。
作戦は成功し、戦端が開かれてから半年で30余城を攻略。約50万石削ることができた。
島津、李朝と同盟を結んだらしく、ほぼ全軍をこちらに向けてきたが、戦力差はまだまだこちらが上だ。
さらに毛利等の大名も今だ臣従していないために、これらの戦力は問題にしなくてもよい。
それにしても、序盤の仇敵。細川京兆家が弱小ながらも独立を保っていたのは驚きだ。
畠山と戦端を開いたらすぐにこちらになびいてきたがな。
ここまで勢力に差がつくとは昔では考えられないことだ。(ほんの13年前だが)
1563年9月。
千葉家の兵力が18万→8万に減少。
将軍家は50万
畠山家は13万。
どうやら天下統一は見えてきたようだ。
と、ここで一旦中止。
1,将軍家。1000万石
2,千葉家。 330万石
3,畠山家。 285万石
4,李氏朝鮮。185万石
5,島津家。 90万石
最大の問題は、最後まで飽きずに出来るかだ。いつも大勢が決したら止めちゃうからなぁ。
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