弱小勢力で逝こう♪ 第二章/第三章
2003年7月11日1556年
6月。織田家がついに飛騨と信濃の国境にある中塔城に攻撃開始。
とりあえず、中塔城が陥落するような事態になるまでは、このままで行くか。
もし、ここが落ちるようなことがあったら、一気に飛騨が蹂躙されてしまう。ここ以外の城はゴミ同然だからなぁ。
8月。上杉家が徳川に従属。ぐはぁ。もうちょっと頑張ってくれよ。あまり切り取れなかったではないか。
11月。飛騨と越後で織田を食い止めつつ、越中本願寺を攻撃。
1557年
2月。武田が織田から独立。やった。これはでかい。これで、越後と飛騨の国境はかなり楽に凌げるようになった。
しかも面白いことに、信長が越後で孤立状態w もしかしたら信長の首が取れるかもしれんな。
さらにさらに、まだ2月だというのに織田はすでに借金生活w おいおい大丈夫かよ。
尾張方面では、松平が圧倒的に優勢。織田滅亡は必至か?
本願寺も方がつきそうだし、能登にも手が伸ばせそうだ。
3月。本願寺が松平に従属しやがった。この根性無しめ。8万石切り取り損ねたではないか!
まぁいい。次は能登畠山攻略だ。
・・・・・・まずい。北条が越後に侵入してきているではないか。しかも、ほぼ全軍を割いて来ているから総兵力15万・・・・・・まずい、はげしくまずい。こっちは全軍でも3万だぞ。国境接したら食い止めることができないぞ。徳川なんとかせい!
5月。ついに北条と国境を接する。北条への鞍替えを考えねばいけないが、今、徳川を敵にするのも得策ではない。越後領を少し諦めねばなるまいな。
6月。北条が来た。まずい。しかも操作間違えた;;
9月。危機はさった。徳川・北条の同盟成立! どうも両者ともに資金がなかったため、同盟をしようにもできなかったようだ。あーたすかったぁ。
ついでに武田は北条に降ったようだ。さっさと能登を切り取って、信濃の織田をつぶしたいですな。
11月。能登畠山が徳川に従属。9万石取り損ねた;;
1558年
引き続き、信濃の織田を攻略中。
8月。信濃にいた織田の攻略完了。織田信長を捕虜にするという大戦果だ!
この時点でどこにも攻めるところがなくなったわけだが・・・・・・フフファァァァハハハハハ。ついに独立を敢行するぞ!!
9月。ついに独立敢行。しかし、肝心要の北条との同盟が成立せず・・・・がーん。むぅ、こうなったら越後の領土を切り取られるのを覚悟して加賀・能登・越中の松平に臣従しているところを削るしかないか。こっちの方がうまうまだしな。
それが終わり次第、北条に従属するしか生き残る術はなさそうだ。
本当の独立は何時になったらできるのやらやら。
一時休止
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第三章
1559年
1月。敵が越後の春日山城にまで来た。ここから西はこの一城のみで死守できるから守りやすいといえば守りやすいが、敵の兵力は15万。対してこちらは4万5千。しかも、加賀と飛騨にも睨みが必要。能登と越中を切り取り、飛騨の金山を松平から奪取するまでは、北条に従属もできん。松平と北条が同盟しているからな。もうちょっと辛抱せねば。ただ、そのために信濃の領地は諦めるしかないがな。
とりあえず、能登畠山は滅亡させた。
さらに、越後に1つだけ残っていた松平軍を撃破。捕虜多数。木下日吉ゲット♪ 人材不足の我が軍にとってこれはでかい。問題はいつ配下に加わってくれるかだが。
2月。朝倉攻め開始。
4月。越中の椎名家滅亡。
5月。朝倉領を半分切り取ったところで、飛騨の松平領を攻撃することにする。
1560年
3月。飛騨から松平を一掃。
さらに美濃を侵攻予定だ。とりあえず、織田と石高が同じくらいになるまで切り取ることにしよう。
それと、何時の間にやら、織田と松平が宿敵状態に。この状態だと同盟等が付加になる。一生やり合っていて下さい。
4月。加賀から朝倉を駆逐。越前にひとつと海が一つ領土があるが、ほとんど無害となった。河内畠山と境を接しないのに利用しつつ次は越前の堀江家だ。
信濃の武田(北条従属)も攻める。これも北条と境を接しないようにしないとな。
7月。兵力にもかなり余裕が出てきた。そこである作戦を決行する。それは、越後と飛騨を直接結ぶルートを作ることだ。これで、北条の防波堤となっている春日山城と尾張方面の兵の移動をスムーズに行えるはずだ。
8月。なんとも困ったことになってきた。兵力で勝っていても、敵の鉄砲に苦しめられるようになってきたのだ。こっちは一丁の鉄砲もないのだ・・・・・・そろそろ購入を考えねばならないのだろうか?
1561年
越後の春日山城で北条を食い止めつつ、順調に美濃の松平領と信濃の武田領を削っていく。おかげで現在は140万石にまでなった。松平は195万石だが、織田の110万石が宿敵状態のため、こちらはなんとか3つの軍を分けてもやっていけている。
しかし、信濃で織田領と接する日も近いので、領土拡大スピードが鈍らねば良いが。
北条は320万石だが、我が姉小路と対してからはほとんど石高は上がっていない。これも全て春日山城さまさまである。
一方、西では河内畠山が膨張を続け、現在400万石である。近畿地方から出雲方面の日本海側を通り九州に上陸。現在、島津とやり合っている。島津は95万石なので決着がつくのも時間の問題であろう。しかし、なるべく頑張って頂かないと。西日本を河内畠山が制してしまう。こうなっては逆転は難しくなってしまうであろう。
予定としては徳川を制した後、織田を北条の防波堤としつつ、越後方面から北条を駆逐していくつもりだ。
しかし、こんな悠長な事をやっているばあいではないかもしれない。
しょうがない、超スーパーウルトラ作戦を実行に移すか?しかし、これは・・・・なぁ。
(その作戦とはいったい何なのか?そしてそれを実行に移すのか?以下次回に続く!!)
6月。織田家がついに飛騨と信濃の国境にある中塔城に攻撃開始。
とりあえず、中塔城が陥落するような事態になるまでは、このままで行くか。
もし、ここが落ちるようなことがあったら、一気に飛騨が蹂躙されてしまう。ここ以外の城はゴミ同然だからなぁ。
8月。上杉家が徳川に従属。ぐはぁ。もうちょっと頑張ってくれよ。あまり切り取れなかったではないか。
11月。飛騨と越後で織田を食い止めつつ、越中本願寺を攻撃。
1557年
2月。武田が織田から独立。やった。これはでかい。これで、越後と飛騨の国境はかなり楽に凌げるようになった。
しかも面白いことに、信長が越後で孤立状態w もしかしたら信長の首が取れるかもしれんな。
さらにさらに、まだ2月だというのに織田はすでに借金生活w おいおい大丈夫かよ。
尾張方面では、松平が圧倒的に優勢。織田滅亡は必至か?
本願寺も方がつきそうだし、能登にも手が伸ばせそうだ。
3月。本願寺が松平に従属しやがった。この根性無しめ。8万石切り取り損ねたではないか!
まぁいい。次は能登畠山攻略だ。
・・・・・・まずい。北条が越後に侵入してきているではないか。しかも、ほぼ全軍を割いて来ているから総兵力15万・・・・・・まずい、はげしくまずい。こっちは全軍でも3万だぞ。国境接したら食い止めることができないぞ。徳川なんとかせい!
5月。ついに北条と国境を接する。北条への鞍替えを考えねばいけないが、今、徳川を敵にするのも得策ではない。越後領を少し諦めねばなるまいな。
6月。北条が来た。まずい。しかも操作間違えた;;
9月。危機はさった。徳川・北条の同盟成立! どうも両者ともに資金がなかったため、同盟をしようにもできなかったようだ。あーたすかったぁ。
ついでに武田は北条に降ったようだ。さっさと能登を切り取って、信濃の織田をつぶしたいですな。
11月。能登畠山が徳川に従属。9万石取り損ねた;;
1558年
引き続き、信濃の織田を攻略中。
8月。信濃にいた織田の攻略完了。織田信長を捕虜にするという大戦果だ!
この時点でどこにも攻めるところがなくなったわけだが・・・・・・フフファァァァハハハハハ。ついに独立を敢行するぞ!!
9月。ついに独立敢行。しかし、肝心要の北条との同盟が成立せず・・・・がーん。むぅ、こうなったら越後の領土を切り取られるのを覚悟して加賀・能登・越中の松平に臣従しているところを削るしかないか。こっちの方がうまうまだしな。
それが終わり次第、北条に従属するしか生き残る術はなさそうだ。
本当の独立は何時になったらできるのやらやら。
一時休止
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第三章
1559年
1月。敵が越後の春日山城にまで来た。ここから西はこの一城のみで死守できるから守りやすいといえば守りやすいが、敵の兵力は15万。対してこちらは4万5千。しかも、加賀と飛騨にも睨みが必要。能登と越中を切り取り、飛騨の金山を松平から奪取するまでは、北条に従属もできん。松平と北条が同盟しているからな。もうちょっと辛抱せねば。ただ、そのために信濃の領地は諦めるしかないがな。
とりあえず、能登畠山は滅亡させた。
さらに、越後に1つだけ残っていた松平軍を撃破。捕虜多数。木下日吉ゲット♪ 人材不足の我が軍にとってこれはでかい。問題はいつ配下に加わってくれるかだが。
2月。朝倉攻め開始。
4月。越中の椎名家滅亡。
5月。朝倉領を半分切り取ったところで、飛騨の松平領を攻撃することにする。
1560年
3月。飛騨から松平を一掃。
さらに美濃を侵攻予定だ。とりあえず、織田と石高が同じくらいになるまで切り取ることにしよう。
それと、何時の間にやら、織田と松平が宿敵状態に。この状態だと同盟等が付加になる。一生やり合っていて下さい。
4月。加賀から朝倉を駆逐。越前にひとつと海が一つ領土があるが、ほとんど無害となった。河内畠山と境を接しないのに利用しつつ次は越前の堀江家だ。
信濃の武田(北条従属)も攻める。これも北条と境を接しないようにしないとな。
7月。兵力にもかなり余裕が出てきた。そこである作戦を決行する。それは、越後と飛騨を直接結ぶルートを作ることだ。これで、北条の防波堤となっている春日山城と尾張方面の兵の移動をスムーズに行えるはずだ。
8月。なんとも困ったことになってきた。兵力で勝っていても、敵の鉄砲に苦しめられるようになってきたのだ。こっちは一丁の鉄砲もないのだ・・・・・・そろそろ購入を考えねばならないのだろうか?
1561年
越後の春日山城で北条を食い止めつつ、順調に美濃の松平領と信濃の武田領を削っていく。おかげで現在は140万石にまでなった。松平は195万石だが、織田の110万石が宿敵状態のため、こちらはなんとか3つの軍を分けてもやっていけている。
しかし、信濃で織田領と接する日も近いので、領土拡大スピードが鈍らねば良いが。
北条は320万石だが、我が姉小路と対してからはほとんど石高は上がっていない。これも全て春日山城さまさまである。
一方、西では河内畠山が膨張を続け、現在400万石である。近畿地方から出雲方面の日本海側を通り九州に上陸。現在、島津とやり合っている。島津は95万石なので決着がつくのも時間の問題であろう。しかし、なるべく頑張って頂かないと。西日本を河内畠山が制してしまう。こうなっては逆転は難しくなってしまうであろう。
予定としては徳川を制した後、織田を北条の防波堤としつつ、越後方面から北条を駆逐していくつもりだ。
しかし、こんな悠長な事をやっているばあいではないかもしれない。
しょうがない、超スーパーウルトラ作戦を実行に移すか?しかし、これは・・・・なぁ。
(その作戦とはいったい何なのか?そしてそれを実行に移すのか?以下次回に続く!!)
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